[PR] ペット販売 “授業中にガムを噛まない”という倫理観 | ある“遅咲き”男の看護学
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“授業中にガムを噛まない”という倫理観
昨日の授業中に、クチャクチャとガムを噛んでいたら先生から注意を受けました。心理学の先生です。人間関係論という授業です。注意と言っても、私にいきなり近づいてきて、指し棒で私を指しながら「授業中にガムを噛まんよ(噛むな、という意味の方言)」と言っただけです。

私はいきなりの指摘に呆然としながら、軽くうなずく感じでガムを片付けました。口の中のガムは吐き出しませんでしたが、それは不問でした。

そしてしばらくの間、かなり不思議な気分に浸されていました。注意を受けて直後に言い返さなかった自分自信の反応にも、ちょっと不思議さを感じてしみじみとなりました。俺って今、元気がないのかなあ。。。と。

でも、それはちょっと違うのです。この経緯には背景があります。
というのは、実は私自身、基本的には“授業中にガムを噛むな”という倫理観を持っている・・・いたからです。少なくとも本学入学前は完全にそうでした。学習塾で仕事をしていたときも、自営になってもそうだったと記憶しています。

それは完全とは言えません。ガムを噛むことの効用にも、多少は気づいていました。プロ野球などの特別な世界をはじめ、集中力を必要をする場面でのガムの効果は認められています。問題は見た目だけであって、ガム=悪と決め付けるのは偏見である、と。

アメリカの学校ではご飯を食べながら授業を受ける生徒もいるということも、知識としては知っていました。厳しく管理して、結局生徒が食べないで済ませるよりは、授業中でも食べたほうが数段もマシだという考え方があることも知っていました。

しかし、以前はそんなに深く考えたことはなかったのです。日本人なら当然だという方式の考えしかありませんでした。昔の私なら、アメリカ式の考えは全部“へ理屈”の一言で却下したかもしれません。議論したら面倒だから“へ理屈”のレッテルを貼って聞く耳を持たない、という例のやり方です。

そのくらい、つまり授業中に生徒も先生も背筋を伸ばすのと同じくらい、ガムを噛まないのは私にとって当然だったのです。振り返れば、生徒にガムを噛ませない、その代わりガムを噛む必要のない仕事をする、という習性が体に染み込んでいたと感じます。それは良い意味でも悪い意味でも偏見だったと思います。

しかし本学に入学してから、その倫理観が正しいとも限らないという体験をいくつかしました。

まず、すでに生徒たちの間ではガムや飴やジュースは常識になっていました。少なくとも後のほうの席では。そして、先生の中にもガムを噛みながら授業をする人がいました。さらに、教員自身の倫理観にも崩壊の兆しは見えていました。具体的には、草履履き、ネクタイを着用しない、はきはき話さない、雑談、チャイムを待たずに早く終わる、授業資料を忘れて教室に入る、マイクやOHPの操作がうまくできない、などなどです。既に何度も触れた、開放禁止の扉や飲食禁止のパソ室の話もそうです。

このような現状において私は、生徒が緊張感の散漫化を落ち着かせたり、また防止する手段の一つとしては、授業中のガムは有効かもしれないと感じるようになりました。無意識のうちに“つまらん授業にガムは必須”と感じていたのだと思います。それで次第に、こそこそした態度で噛むのでもなく、むしろ堂々とやりだしたのだと感じます。これは慢性の病気のようなものかもしれません。

そんな矢先にいきなり「ガムを噛まんよ」と注意を受けたのです。私の現状にとっては、まさに不意打ちでした。だから、いったん動きが止まるような反応になったのだと感じます。本学に入学して以来、この注意を受けたのは初めてです。言われてムカつかなかったのは、自分自身の反省もあったからだと思います。

この経緯について、とても面白いものを感じます。

私は、社会人→生徒という、普通とは逆のコースを進みつつあります。この中で、社会人のときは“生徒にガムを噛ませない”と感じていました。しかし自分が生徒になったら“つまらん授業にガム”が当たり前となりました。

一方、現実問題としては、私に「ガムを噛まんよ」と注意した先生は、まず間違いなく二度と生徒の立場になることはない。だから先生の立場だけで判断している。自分たち自身の行動規範は崩れているけど、生徒の崩れはムカつく、ということです。このあたりに、面白い分析が生まれそうな気がします。

大きく漠然と考えるならば、異なる立場の間に流動性がない、ということが日本文化の特徴なのかもしれません。一方で、日本の社会情勢は刻々と流動性増大の方向に向かっています。看護や教育の業界はそういう意味で守旧派の代表に見えます。

このあたりの現状を、うまい言葉で分析したいです。誰かこの分野で論文を書かないですかね。看護学の背景にある文化の研究。私はすごく応援するだけどなあ。私自身の分野でもあるし。研究会ができますからね。
看護師の専門性07:53comments(3)trackbacks(0)
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今日のテストが始まる前、昼から噛んでいたガムを吐くのを忘れ、答案提出時に教授から咎められてしまいました。
まったく私の不注意ですが、これは別の意味でガムを噛んでいることに無自覚になってました^^;

かといって「昼からずっと噛んでいたために、噛んでいる自覚を忘れていました」と弁明するのも流石に阿呆らしかったので、その場は何とも残念な気持ちになりました。解答途中に気付いてからは噛む音を立てないようにはしていたのですが、案外先生もご覧になっているものですね。
| 最後の最後で態度点が… | 2013/07/17 6:09 PM |

形式美ですね。確かに。私は学生になってから忘れていました。というか考えていたらやっていられない状況です。しかし今後は、できる範囲では実践してみようと思います。「つまらん授業にガム」ではなくて「つまらん授業につまらんと言ってやる」のが正論ですね。
| woaini | 2005/10/14 6:41 AM |

私の出入りしている大学で講義前にガムを捨て忘れて口の中でモグモグしながら講義を始めてしまったことがありました。だめですね、しゃべる時の舌の動きと口の中のガムの動きが無茶苦茶になって、きれいな日本語にならなかったです。学生が知ったかどうかわかりませんが、ノーネクタイ・ジーパンといういつものスタイルも含めて学生からは不謹慎と思われているかもしれません。 剣道・柔道・弓道など、生け花、茶の湯など、と同格に講義をする方も、受ける方も、講義に形式美を追求すべきではないと私は思っています。 私語は最悪ですが、ガムは目に入りませんね。さすが心理学の先生、ちゃんと学生一人一人の様子を見ながら講義をしているんですね。
| October | 2005/10/12 9:14 PM |








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