[PR] ペット販売 「指導できない」と言ってしまえば、やっぱり圧力か | ある“遅咲き”男の看護学
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「指導できない」と言ってしまえば、やっぱり圧力か
東北大学の助教授が、セクハラ事件への関与を否定して自殺した、という事件がありました。この事件の解説は、ネットを探ると、たくさん出てきます。私はセクハラに関しては、かつて興味を持って調べたことはありますが、今はそう真剣に調べていません。
ただひとつ、自分自身の経験に照らして気になった事があっただけです。それは、この自殺した助教授の容疑の中に、「指導教官ができない」という意味のことを発言した、ということが入っていたことです。これは、訴えでた相手方の女子学生に対して、圧力をかけた疑いがあった、ということになるそうです。

そうですか。こういう発言は、圧力をかけたことになるのですねえ。そうかー。

私は、教員から同じことを言われたことがあります。これは、たぶん記事にしていると思いますが、初めての病院実習でのことです。あのときは、ほんとに色々なことがありました。でも、その発言のことは、先のセクハラの記事を読むまで忘れていました。

あのときの自分の状況や気持ちを思い出すと、あれは確かに圧力でした。でも、怒りの気持ちはあったが、自分を被害者として訴え出ようか、という気持ちはありませんでした。その発言をした教官に対して、良い度胸やないか、本気で喧嘩したろうか、という位の気持ちでした。

・・・そうか、だったら、訴え出る気持ちはあったわけですねえ。私という、れっきとした成人に対して、どうしても生徒扱い、それならまだいいのですが、要するに子ども扱いしようとする教員。この教員に対して、一人の人間として、正々堂々と戦ってやろうという気持ちはありました。でも、そのとき、その発言をした教員に対して、それほど憎い気持ちはなかったなあ。

今、たまたま教員と学生という関係になっているが、そもそも人間同士で、社会経験としても、それほど差はないと思っていたところ、どうしても子ども扱いしようとする教員が鼻持ちならなかっただけです。それに、あのときはちょうど、看護学というものは、集団を画一的に扱うのではなくて、個人個人、個性を見ていくものだ、という考え方を授業で受けていたばかりでした。それに感動していた矢先、なんでこの教員は、言うこととすることが違うんだ、それでもプロの教員か、どこからどう見たら俺がみんなと同じ世代に見えるのか、バカかこいつは、と怒りを感じただけです。ある程度思い知らせてやれば、それ以上のことはなかったです。

今でもありありと思い出す光景ですが、今となっては懐かしいです。

しかし、あの発言はやっぱり、圧力ですね。もし自分が教員の立場なら、しゃれでも決して言わなかったでしょう。ちゃんと覚えておいて、また何かあったときは、ちゃんと言ってやらないといけませんね。
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