[PR] ペット販売 「独自の観点」を持って学ぶつらさ | ある“遅咲き”男の看護学
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「独自の観点」を持って学ぶつらさ
 この学校では、レポートを出すときに、評価の基準が予め提示されます。そこに「読みやすさ」とか、「独自の視点」とか書いてあるわけです。しかし、そういう言葉を本気にするとまずいことになる。
 そういうことは、確かに学生にとっては常識だと思います。実際のところこれまでにも、看護教員の教育力のなさについては相当量の分析が蓄積されています。それを知っている人であれば、看護で言うところの「独自の観点」が何を指すのかということにも、的確な判断を下せるのでしょう。

 私がこの学校に入学してから、半年とちょっとが過ぎました。この間に、何度かレポート提出の機会がありましたが、これまでのところは、上のような分析の正しさは確実に証明され続けています。優秀な成績で卒業したいなら、レポートには「独自の観点」ではなくて、「教員が望みそうなこと」を書くべきですね。実際、私が5段階評価の2番目や3番目の評価であったときに、同じ課題で1番目や2番目の評価を勝ち取った人のレポートを見ると、「独自の観点」は(見せてもらった本人には悪いのですが)むしろないと言えます。

 私も実際にそういう証拠を読んでみると、教員が望むような書き方をしたほうが、自分の気持ちが楽になるという誘惑のような気持ちに傾きます。「自由に書きなさい」という課題で」実際に自由に書いたら減点されたという事例も実際に見ました。しかし、それを許せない良心もある。非常に悩ましく、つらい気持ちでいっぱいです。

 こういう経験は、以前に文系の学部にいたときにはなかったことです。文系のときは、見解の相違、意見の対立があったら、まずは議論をしていました。看護学科には、それがない。先生の言うことを鵜呑みにする生徒が良い生徒だということです。しかしこのような状況はさすがに、自分の体以外では証明しづらい。

 ところで今、台湾に関する本を意図的に濫読しています。その中でよく「日本が台湾に残した日本精神」という表現が出てきます。今、台湾はようやく民主国家になったところで、日本統治時代と国民党統治時代の比較を論じることが多くなっているようです。それで、日本統治の悪い点だけでなくて、良い点も論じる本が、相対的に多く出るようになっているのだと思います。

 でも、そこで語られている「日本統治の良かった点」は、今の日本ではほとんどみられないようなことが多くて、非常に恥ずかしいというか、悔しいというか、情けない思いをさせられます。例えば、公務員が賄賂を受け取るようなことは全くなかったとか、そういった倫理的なことです。

 今、看護を学ぼうとしている自分が突き当たっている「独自の観点」という問題も、その一つにあたるような気がしてなりません。看護学の先生方は「看護学は変わろうとしている」と言いながら、実際は生徒を既存の型にはめようとしているように思われて仕方ありません。看護教育とは、いったい何なんだろうか。
この学校はヤメとけ14:41comments(0)trackbacks(0)
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